October 1998

河童の想い出 T

長い河童の生活で何となく身についた当たり前の生活習慣でも
「陸」で生活している普通の人では解らない事が多いと思います。
船乗り稼業で身についた習慣の中から思いつくままに
拾い出してみたいと思います。



船員一年生の頃
昭和32年、初めて航海士として乗船した船で、神戸に寄港した時のこと。
「バイキブクロ」と称する荷物を入れた袋を肩に担いだ中年の男性がタラップを昇ってきた。
「この船で雇ってもらえませんか?・・・」 と一言。
当時は船員になるときには会社経由で雇用を決められたはずだが、一応「船長に聞いてきます」と言って船長室に案内した。
当然ながらその人は断られて下船していったが、その後船長室に呼ばれて、変な客を案内したと言う事でこってり絞られた。
・・・・・・ が、初めて入った船長室の広さと豪華さに目をみはり、頭は真っ白。長い時間何を言われていたか記憶に無い事は勿論である。
しかし自分が船長になってからの船長キャビンはそれほど豪華になったと思った事は一度も無い。乗組員全体のキャビンが良くなって差が解からなくなったのだろう。

 

   船員用語
航海士当時、乗船したある船の船長は、日本で家族が訪船すると船長居室でいつも食事をしていた。
その船は船長室の向かい側が二等航海士のキャビンだった。
食事中の船長室から突然大声で「おーい! セコンドメート。シオを持ってこいヤ!」
二等航海士「何で俺がボーイの仕事をしなければならないのだ。」・・・と思いつつも、ボーイに電話をして
「オイ、船長が塩を持ってこいと言っているぞ。」
暫くして再び船長室から「おーい!セコンドメート。ちょっと来い。」
二等航海士「何かご用ですか?」
船長「あのな。セコンドメート。メートにシオと言えば潮汐表の事を意味するのだ。覚えておけ!」
二等航海士「申し訳有りません」
そうです。航海士に「シオ」といえば、「潮汐表」であるという事が、咄嗟にわからなければならないのです。


「???・・」
船内生活も昔と比較すると随分便利になりました。つい最近まで、ギャーレー炊飯は大きな蒸気の釜で全員分を一度に炊いていましたが、最近は家庭用電気炊飯器を各テーブルに設置して5〜6人づつ分をタイマーで炊くようになり、司厨部も随分楽になりました。

ある朝、あるテーブルでの会話。
「このテーブルの飯はまずいな!。隣のテーブルのメシの方がうまい」ボーイも首をかしげて自分の責任と思って考え込んでいた。
さて、翌朝のこと。ボーイは自慢げに「今朝のご飯はおいしいでしょう。隣のテーブルの差込ソケットを使用して炊きましたから。」
「・・・・・・」

 

生活の中の体内時計
人はみんな体内時計と言うのを持ちあわせていると聞きます。一日24時間の決まりで毎日を過ごして育った者が、ある時から突然1日が23時間30分になってしまったとします。経験の無い人には「何も変らないだろう」と思うだろうが決してそんな事はありません。
船が日本を出港して南米チリに向かいます。
航海日数25日。時差11時間を進めなければなりません(日付は一日遅れます)。毎日30分ずつ前進し乍ら22日間、一日が30分短い毎日をを過ごしていると、いつに間にか殆どの乗組員が夜、寝られないと言い出し、昼間居眠りを始める様になります。
仕事が無ければ夜、昼を入れ替えて睡眠をとるようになります。
そして停泊して一日が24時間になると普通通りに夜間の睡眠が取れるようになります。 復航には一日が24時間30分になると、30分長い一日は儲かった気持ちになりますが、その分遊んでしまうので又睡眠時間が短くなってしまいます。
船乗りはいつでも体内時計が狂っています。

 

夜は必要
人の生活には夜がどれだけ大事か経験してみた人でないと解かりません。
昔、南氷洋捕鯨に就航していたころの想い出です。12月、1月の白夜には夜が無い毎日を過ごすことになります。
当時乗船していた船では、南氷洋海域に入ると当直時間、作業時間をすべて六時間交代、二組で編成されていました。それに準じて食事時間が 6時、12時、18時、24時の6時間毎。夜食(24時)を含めて1日4回になっていた。
6 時間をフルで働き食事をして次の作業まで休む。激しい作業が続くので休み時間はただ睡眠をむさぼるのみです。次に起こされたときには食事をして作業交代となります。
このように単調なローテーションで食事と作業の繰り返しが数日間続くと、起きたときの6時が朝か夕方か、白夜の世界では見当がつかなくなります。
特に長い期間作業が続くと頭の回転も鈍ってきます。食堂に行ってみて献立の確認で始めて6時の朝食か、18時の夕食かが解かると言うものです。同じく昼食か夜食かによって12時か24時を判断していました。
白夜も終わりに近づくとだんだん短い夜がやってきます。この時の夜は大変懐かしく感じられるものでした。白夜が過ぎて普通の通りに昼夜が繰り返されるとホッとしたものです。
やはり人の生活には夜は必要です。


  歴史の違い
台湾中国人乗組員は色々議論がお好きなようです。と言って中国語会話や、日本語会話が流暢にと言うわけでは有りません。
毎日顔を合わせていると、日本語と身振り、中国語と身振りで通じてしまうものです。そして内容が難しくなるとメモを持ち出し漢字で書きながら漢字の意味を解釈し、日本人は略した漢字を書いてそれが又議論の対象になるのです。
漢字の議論では漢字のルーツの中国人にはかないません。それでも主張を続けると、「中国5000年の歴史」があると言う事で結末は決まっていました。
しかし、もっと漢字を覚えておくべきだったとは一度も思いませんでした。


  漢字の書類作成
台湾に本社が存在した船会社では、時々提出書類を漢字で、それも「電脳(コンピューターのこと)で書いて提出せよ。」なる要求が一等航海士(台湾人)宛てにFaxされてきていました。
一等航海士には当然、船内備品の当時の古いパソコンは使えません。
それに悩んでいた彼にある時、「原稿を作ってくれば私のワープロで作成してやるよ」と伝えた所、数日して漢字ばかり羅列した手書き原稿を数枚持ってきました。その原稿は奇麗に書かれていましたが、一般に使用している日本のワープロの第一、第二水準漢字には含まれていない漢字ばかりです。
勿論読みも解かりません。引き受けた以上仕方が無いので、「外字」でその都度作成し適当な読みにして保管しながら書類を完成しました。電脳書類が完成して喜ばれたのは大変嬉しかったが、その後頻繁に台湾から提出書類を「電脳書き」で要求してきたのは言うまでも有りません。
私のワープロが「外字」で一杯になっていました。
返船の為、日本人が全員下船するとき、ワープロを置いていって貰いたいと随分頼まれましたが、適当な「読み」で保存している漢字を読み出せないだろうと言うことで、諦めてもらいました。


  パソコンと通信士
台湾の通信士で非常に真面目な、パソコンに熱心な人と乗船していました。
あるとき彼はパソコンに入っている第一、第二水準の漢字を全部倍角でA4用紙13枚にプリントアウトし、「読み方に(かな)をつけてもらいたい。」と言って来たのにはびっくりしました。確かに台湾読みの入力では日本のワープロでは変換出力しません。(例:人=Jen, 今=Chin、五=Wu等)
通信士は事務仕事が多い職務で、日本の港に頻繁に入港するので「入港書類」作成作業も多いので、必要と思われる漢字は適当に「かな」を付けてやりました。その後、パソコンがすっかり上手になったのは言うまでも有りません。
時々解からぬメッセージがCRTに出ると平仮名をそのままメモし、「これは何の意味ですか」と聞いてきました。その後、契約期間終了下船時まで日本語は全然解かりませんでしたが、古いパソコンの操作だけは我々以上に上手になっていました。
下船時、「大変お世話になりました」と言って、「萬有英文手冊」と言う中国語/英語の辞書を一冊プレゼントしてくれました。今でも大事にしていますが、ここ数年来開いたことはありません。


休暇終了。乗船復帰
有給休暇が終わって乗船命令が来ると、日本のどこかの入港地に赴任し乗船します。
乗船する船は殆どの場合、先に下船した船に複船することはありません。以前に乗船したことがある船ならば気楽なものですが、初めての船はそれなりに気を使います。

先任者の仕事を引き継ぎ概略呑み込むのに数日掛かりますが、取りあえず出港するまでに何をやるべきかを把握しあとは身の回りの消耗品を購入して航海中の準備をしなければなりません。出港してしまえば必要品の入手は不可能です。
さて消耗品とは何か?。ハミガキ、歯ブラシ、石鹸、スリッパ、それに最も大事な「酒のつまみ」です。それさえ揃えば一ヶ月ぐらいの航海は不自由することはありません。たばこ、酒類は免税品で高級品が安価で船内購入できるので飲んべーには安上がり天国です。休暇中安酒で馴染んだ喉には答えられません。
しかし、船員に免税酒が許可になったのは昭和42年頃と記憶しますが、その頃から、船員にアルコール中毒者が増えたそうです。


休暇の終わり頃   Part-1
長い日々を毎日海上で暮らし、10ヶ月もすると通常は有給休暇が来て下船できます。
休みの無い毎日を規則正しく船上で過ごし、下船は嬉しいものです。休暇となると一切の仕事から解放され無為な生活が始まります。
休暇の期間は下船時に概略予想がつきますが、家に帰れば何もすることが無い割には退屈しないのが不思議です。何時の間にか3ヶ月余りの休暇が過ぎ去り、「そろそろ乗船かな!」と思っていると、乗船電報がやってきます。
・・・・でも、 この場合は問題ありません。しかし会社側が予定している船が回り道をして、帰国入港が遅れているときは休暇日数が伸びて嬉しいのですが、近所のうるさい田舎の叔母さんたちには休暇期間が過ぎても乗船しない理由が解かりません。
「会社が変ったのですか?…」
「陸職に変ったのですか?…」
ときには「クビになったの?・・・」。
面倒でいちいち言い訳をする気にもなれません。やはり河童は船が一番住みよい所なのです。


休暇の終わり頃   Part-2
有給休暇で下船となり長い乗船生活から開放されて慣れ親しんだ本船とお別れし我が家へ帰宅するのは何回味わっても楽しいものです。
船内生活とはまったく生活環境が一変し、揺れと振動、仕事からすべて解放され、自由な時間が沢山待っています。……そして待ちに待った家庭の仕事、特に沢山溜まった修理仕事などが待ちわびています。
数日間は何をやっても物珍しく熱中できますが、その内に「俺は何をやっているのだろう?」と言う時期がやってきます。やはり時間で働く船の生活が段々と懐かしくなってきます。
そんな時期になるのが休暇3ヶ月目頃でしょうか・・・・
会社からも何とも言ってこないし「忘れられているのではないだろうか」と少々心配になってきます。早々の乗船を希望しているわけでもないのに会社に電話して、それとなく確認してみて安心したりします。
そんな気持ちで居るときに待望の「乗船命令」が来るとホッとしたものです。
何となくソワソワと「我が家に帰れるような・・・・」安心感が。・・・・・


終わりまで読んで頂き有難う御座いました。次のページも覗いてみてください。